「生きる」

f:id:shisei117:20180111184116j:plain

お正月の休みに、黒澤明監督の映画「生きる」を観た。

「あと半年の命」との宣告を受けて、茫然自失になり、仕事も休み彷徨っていたが、一念発起して、住民の陳情を受け、多くの壁を突き破り、公園建設を成し遂げる主人公。

 

その正に命がけの仕事ぶりには、鬼気迫るものがあった。

 

そうなのだ。

日頃から、こういう気持ちでぶつかっていけば、壁なんて突き破れるのだ!

 

「言うは易く、行うは難し」だけどね。

 

けれども、「一日一日を大切に生きていかなければならないな」ということを、

改めて教えられた。

 

話は変わるが、この映画、

今から70年近く前の昭和20年代に撮られているのだが、

山高帽にロングコートのサラリーマンはモダンでお洒落だし、

キャバレーやダンスホールは満員でにぎわっていて、活気に満ち溢れている。

 

そんな昭和の光景を見ていると、

「今よりよっぽど面白いんじゃないか!」とさえ思えてくる。

 

いくら巨匠の黒澤監督でも、70年後に観る人が

「そんなことを感じながら観ている」とは想像もしていなかっただろう。

 

それもまた面白い。

 

年の初め、いい映画を観た。

 

 

 

 

 

 

一年の終わりに「つまずくからこそ、見えてくるものがある」

f:id:shisei117:20171231163429j:plain

2017年もあと数時間で幕を閉じる。

一年の内には、いろいろな事が起きる。

予定通りのこと、想定内のこともあれば、まったく予期していなかったようなことも起きる。

 

今年、我が家には大きな出来事が三つあった。

 

一つは、息子が成人式を迎え、デザイン学校を卒業、引っ越し、就職したこと。

これは予定通りのことと言える。

 

二つ目は、親父が亡くなった後、17年間空き家になっていた家を売却したこと。

これは、「いい人がいれば、何れはお譲りしてもいい」と思っていたので、想定内のことだったと言える。

 

三つ目、娘が中学を卒業して、高校に合格し入学したのだが、二学期から転校した。

親としては、せっかく入学したのだから、当然3年間通うものだと、何の疑いもなく思っていたので、これは全くの想定外の予期せぬ出来事だった。

 

二学期を迎え「私、明日からもう学校に行かないから!」という娘の宣言に始まり、

親の私としては「はて、どうしたものか?」と、娘と一緒に何度も学校に行き、担任の先生と話し合った。

 

担任の先生も熱心な方で、「どう進むべきか?」娘にとって「どれが最良な道」かを親身になって考えてくださった。

 

そして、三人で話し合い「娘にはこの学校が向いているのではないか」という学校を探し出し転校することにした。

 

この一件は、私にとって貴重な経験となった。

 

娘の「もっと自分のペースで勉強したい、絵の勉強やデザインの勉強もしたい」

そんな強い意志が私に伝わってきた。

 

そして、何度も学校へ足を運んでいるうち、現在のいわゆる進学校の教育がどういうものなのか、現在の高校生活とはどういうものなのかを、垣間見ることができた。

 

また、こういうことがなかったら、知ることはなかったであろう、

転校先の、現代にマッチした教育方法、そのしっかりとしたシステムには感心させられた。

「こういう学校もあるのだな」と。

 

現在娘は新たな一歩を踏み出し「自分がやりたいこと」に向かい進み始めた。

 

つまずいたからこそ、娘も私もいろいろな経験できたのだ。

 

人生にはいろいろなことが起きる。

 

時間はたっぷりある。

 

「自分が思うとおりにやればいい」のだ。

 

やったもの勝ちだ。

 

それでは皆様「良いお年を!」。

 

 

 

 

 

 

 

 

懺悔 ~偽りの祝福~

f:id:shisei117:20171229171448j:plain

あれから1年が経った。

もう話してもいいかもしれない。

その日私は、事務所の大掃除をしていた。

お昼頃だったか、広島にいる息子から、その日行われる「東京大賞典の馬券を買ってくれ」とのメールが入ってきた。

見てみると、息子が狙っている馬を、私も狙っていた。

 

大掃除を終え、家に帰る途中、携帯で馬券を買うか、それとも、車を停めて今すぐ携帯で買うか、どうしようかなと考えていたのだが・・・・・

 

その1か月前に「ガラケイ」から「ガラホ」に買えたばかりで、まだ、馬券を買うのに手間取ったりすることがあったので、家に帰りパソコンで買うことにした。

 

しかしながら、この判断が裏目に出た。

家に着いてパソコンを立ち上げているうちに、刻々と発走時刻が迫ってきた。

4時30分発走なのだが、地方競馬は、中央競馬より締切時間が3分早い。

「ヤバイ、これは間に合わない」

すかさず携帯で買おうとするが「えーと。どうだったかな?」なんてやっているうちに、タイムアウトとなった。

 

レースが始まった。

いつもなら「ワクワクドキドキ!」、「当たり」を期待して観るのだが、

この時ばかりは、

「ハズレテくれよ!」と祈るような気持ちで画面を見つめていた。

 

それが、なんと、期待に反して、脚色がとてもいい。

あれよあれよという間に進出してきて、見事に差し切りがち。

 

「あーなんてことだ!」

こういう時に限ってこうなるんだよな。

もうがっくり。

 

間に合っていれば、息子と私とふたりとも的中していたのに・・・・・

 

「息子になんて言おう?」

 

まさか、間に合わず「買えなかった」なんて言えるはずがない。

 

私はすぐに息子に電話して、

落胆した様子を敢えて悟られないよう、いつもよりテンションを上げて、

「やったな!」おまえの予想通り「バッチリだったな!」

 

もちろん、そう言いながらも、私の心中は穏やかでなく、涙が出そうだった(笑)

 

その後、

息子に「真実をいつ話そうか」と考えていたが、

結局話さずじまいで、

今日再び「東京大賞典」の日を迎えたのだ。

 

今年は、昨年の轍を踏まないよう、お昼には馬券を買っておこう。

 

当たればいいけど・・・・・。

 

「忘年会」~甘い話に誘われて~

f:id:shisei117:20171227172103j:plain

年を取っていくに連れて、夜の街に出て行くのも億劫になる。

増してやこう寒いと尚更だ。

家でおでんでも食べながら、一杯やってる方がよっぽどいい。

 

ということで、今年は忘年会に一度も参加していなかったのだが、

気心知れた連中から誘いが来た。

 

聞いた瞬間「うっ、来たか!」と思ったが、

 

すかさず「いいなあ!参加するよ」と返事した。

というのは、昨年、私が誘っておいて、インフルエンザでドタキャン、

今年夏の後楽園ビアガーデンも、これまた私から誘っておいて、急な仕事が入り

ドタキャン・・・・・

ここで断ると「もう次からは誘ってもらえないだろうなあ」

そんなことが脳裏を過ぎった。

 

当日はとても寒くて、出かけるのに相当な勇気を要したが、

「できるだけ早く帰って来よう」と心に決めて、思いきって出かけた。

 

のだが、そこはそれ、

飲み出すと、久しぶりに会ったということもあり、話は弾み、大いに盛り上がり、

いつの間にか、二次会は、そのうちの一人が行きつけのスナックに行くことまで決まってしまっていた。

 

そいつが言うには、その店には「感じのいいきれいなママ」が居るらしい。

「ホンマか?」

「ウソやったら、おまえの責任払いやぞ」

「勘弁してくださいよ」

 

と、そんな冗談を言いながら、みんなでその店に出かけた。

 

気分もよかったので、久しぶりにカラオケで歌ったりもした。

クリスマスの時の私の十八番、

「安奈」「ひとりぼっちのクリスマスイブ」・・・・・・

 

他の人たちも歌いまくり・・・・・

総勢7人いたのだが、私より一回りは若い人たちばかりだったので、

当然、歌う曲も違い、私以外は「懐かしい、懐かしい」と一緒に口ずさんでいた。

 

私も孤軍奮闘、負けじと歌った。

 

そうこうしていると、

二人連れのお客さんが入って来られて、

これがまた「とーってもノリがいい女性」で、

私以外の人たちとは、世代が同じときて、みんなで大合唱となった。

 

「なんかようわからんけど、聴いたことはある曲だな」と、

私は体を揺らし手拍子で合わせる。

 

そんなこんなで気が付くと、午前零時を回っているではないか!

 

「これはいけません」

家の鍵を忘れてきていた私は、「このままでは家に入れなくなる」

 

慌てて妻に電話して、

「鍵を・・に置いといてくれ」と頼んだ。

 

時計を見なければ、

この寒空の中、危うく「野宿か」というところだった。

 

それから、その店を出て「次に行こう」という話も出ていたが、

さすがにもうこれ以上は無理、

ラーメンを食べて帰ろう、ということになったのだが、

タクシーが捕まらない。

 

結局、大通りで30分ほど、手を振り続け、

やっとこさ捕まえることができた。

 

なんとか、家にたどり着き、お風呂に入り、

布団に入ったのは午前3時30分だった。

 

「あー、またやってしまった!」

 

だいたい飲みに行くとこうなる。

 

毎度のことだ。

 

でも久しぶりに楽しい酒だった。

 

「また行こう!」

 

 

 

「神様からの贈り物」

f:id:shisei117:20171225164013j:plain

ハナを切り、鞍上の武豊の絶妙なペース配分に導かれ、颯爽と走るキタサンブラック

4コーナーを回り最後の直線、「どこで追い出すか」、

早過ぎれば、差し馬に捉まる可能性が・・・

昨年、鼻差差された記憶が脳裏をよぎる。

遅くなれば、馬群に飲み込まれる可能性が・・・

ゴール前300m地点で、鞭が入った。

スパートするキタサンブラック

外から差し馬も一斉に襲い掛かる。

しかし、やはり、強かった。

差し馬に影を踏ますことなく、逃げ切った。

引退レースにふさわしい、有終の美を飾る「見事なレース」だった。

 

馬主であるサブちゃんとキタサンブラックの出会い。

数年前、サブちゃんが北海道に馬の買付に行き、帰りかけたところ、

愛くるしい目で自分を見つめる馬がいた。

サブちゃんは、その目に惹かれその馬を買った。

それがキタサンブラックだった。

その馬は、素直で、まじめでレースになると一生懸命に走る。

そして、何より体が丈夫だったため、厳しい鍛錬に耐え、だんだんと強くなっていき、

半世紀近くの間、G1レースに勝てなかったサブちゃんに7度もその栄冠をプレゼントした。

そんなキタサンブラックのことを、サブちゃんは「神様からの贈り物」だと、

感謝した。

 

私は、キタサンブラックを通して、サブちゃんを好きになった。

一昨年の春の天皇賞を観に京都競馬場に行ったときのこと、

そのレースもキタサンブラックが勝った。

表彰式が終わり、関係者が退場となるところで、

大勢のファンは「サブちゃんのまつり」が聴けることを楽しみにしていた。

そのとき、サブちゃんは歌う予定はなかったのだが、

その熱い空気を察したサブちゃんは、

「今日は私の代わりに武さんに歌ってもらいます」ときた。

 

そのあと「まーつりだ、まーつりだ、キタサン祭り、これが競馬の祭りだよ!」

とやってくれた。

これには、最後まで残っていたファンは大喜び、拍手喝采だった。

f:id:shisei117:20171225190651j:plain

 

このとき私は「ファンを大切にする温かみのある人なんだなあ!」と

サブちゃんのことが好きになった。

 

昨年の有馬記念では、惜しくもハナ差で負けたが、

その時も全レースが終わった後、残ってくれていたファンのために、

「まつり」を歌ってくれたと聞いている。

 

サブちゃん、北海道から歌手を目指して上京し売れるまで苦労された。

一生懸命に走っている馬の姿を見ると、

歌手を目指して一途に走っていた時の自分の姿を思い出すという。

 

そして、馬主になってからも、半世紀近くG1レースには勝てなかったが、

「いつかは!」と夢見て、辛抱強く続けられてきた。

 

そんなサブちゃんに、競馬の神様が微笑んでくれたのだ。

そして「キタサンブラック」という馬を贈ってくれたのだ。

 

昨日の有馬記念では、キタサンブラックの走る姿、愛馬を熱く応援してくれるファンの姿に、サブちゃんは感謝の気持ちで一杯になり、3コーナーを回ったあたりから、涙がポロポロ出て止まらなくなったとのこと。

 

レース後のインタビューでは、

「今までの人生でこんなに感動したことはない!」とおっしゃられていた。

 

多くの競馬ファンも、昨日だけは、馬券が当たったかどうか、

そんなことよりも「キタサンブラックの勝利を心から喜んだのではないか!」

そんな気がした。

 

キタサンブラック

「お疲れさまでした!」

「ありがとう!」

 

今後は、生まれ故郷の北海道に帰り、

自分と同じような、素直で丈夫な強い子を作ってください。

 

そして数年後、その子供がG1レースで勝利し、

そのとき、再びサブちゃんの「まつり」が競馬場に響くことを期待しています。

 

 

 

「有馬記念」競馬で気分転換!

f:id:shisei117:20171223104958j:plain

20代半ば、私はある会社の大阪支社に勤務していた。

その支社には、東京から来られていた騎馬好きの先輩がいた。

その先輩は、部下から慕われ、上司からの信頼も厚く、仕事のできる方だった。

週末になると、競馬新聞を片手に、とても楽しそうに予想されている姿を見て、私も「やってみたいな」と思うようになった。

その後、私は出身地である岡山営業所に戻ることになったのだが、残念ながら、岡山には競馬場はなく、競馬を楽しもうにも、その術がなかった。

それが、今から15年ほど前、携帯で馬券が買えるようになったので、すぐに私は登録して、めでたく競馬ファンの仲間入りを果たすことができたのである。

それ以後は、私も先輩と同じように、週末には、スポーツ新聞、パソコン、携帯を駆使して、BSの競馬中継を見ることが楽しみになった。

競馬って「ギャンブル」と顔をしかめる方もいるかもしれないけれど、

私に言わせると「そんなことはない」

どの趣味もそうであるように、とても奥が深いし、

しっかり研究していけば、大けがをすることもなく、充分楽しめるのだ。

仕事で嫌なことがあったり、やりきれないことがあったりしても、

コーヒーを飲みながら、競馬新聞を見て予想に没頭しているときは、

それ以外のすべてのことを忘れている。

その時間は、私にとっては「至福」の時でもある。

さあ、明日は「有馬記念」。

今年もいろいろありました。

歓喜、感動、落胆・・・・・

明日はどんなレースになるのか。

このレースがラストランとなる、サブちゃん所有馬のキタサンブラックが有終の美を

飾るのか、はたまた・・・興味は尽きない。

「終わり良ければすべて良し!」

「やったー!」の歓喜で締めたい。

 

「永ちゃんの涙」

f:id:shisei117:20171211182228j:plain

トラベリング バス コンサートツアー2017

昨夜、大阪城ホールに、姉と一緒に永ちゃんのコンサートを観に行った。

前回、この名でツアーが行われたのは、1977年。

なんと40年前だ。

 

トラべリン バス・キャロル・恋の列車はリバプール発・ウイスキーコーク・チャイナタウン・・・・・

永ちゃんが当時の曲を歌うと、

私がまだ、高校生だった頃のことが思い出され、つい、懐かしさに一緒に口ずさんだ。

 

オープニング・曲の合間、アンコールの時の、永ちゃんコールの大歓声。

 

みんなの、「永ちゃん・・永ちゃん・・永ちゃん・・」と手を振り上げてのコールがリズミカルな大合唱となっている。

 

それは、ものすごい熱気を帯び、その熱さがホール全体に充満し、破裂してしまうのではないか、と思えるぐらいの盛り上がりだ。

 

アンコールのときには、その熱気が最高潮となり、自分の体がその熱気の中に

「フッ!」と吸い込まれていきそうな、そんな感覚さえ覚える。

 

コンサートの途中、永ちゃんの音楽を築き上げてきた、作詞家の人たちが亡くなられた話をされた。

それから、その方たちを偲び、縁の曲をメドレーで歌われた。

 

コンサート最後の曲、「A DAY」を歌う前に、永ちゃんが話始めた。

 

「こんなに長くやれるとは思っていなかった」

 

40年前のトラべリング バス」コンサートの時、

当時、19とか20歳だったファンの人たちも、今は、いい親父になった。

けれども、今でも変わらずこうして応援してくれている。

 

そして今では、女性、子供連れ、あらゆる人たちが、コンサートに来てくれるようになった。

 

「永ちゃん、12月に大阪城、武道館を観ないと年が越せないよ!」

 

そんなうれしいメールももらっている。

 

「みなさん、どうもありがとうございます」と、観客に向かい、深々とお辞儀をされた。

 

スクリーンに映し出される、A DAYを歌っている、永ちゃんの目には、涙が浮かんでいた。

 

私は、その姿に胸が熱くなった。

 

そして「永ちゃん、俺たちこそ、ありがとうだよ!」と心の中で叫んでいた。

 

会場にいるみんなも、同じ気持ちだったと思う。

 

アンコールのトラべリン バスが終わり、永ちゃんがステージを後にした後、

 

なんと、永ちゃんがトラべリンバスのタオルを背負い、後ろ向きのまま、ステージを横走りに往復した。

 

そのおどけたしぐさが、ユニークでとても良かった。

 

永ちゃんも、気分が良かったんだろうなあ!

 

俺たちも、とても楽しかったよ!

 

最高の夜になったよ!